庭匠 風彩 コンセプト

コンセプト

   庭と対峙するとき常に私が心に留めていること


 ものづくりのこころ

GRP_0004.JPG 繊細な感性を持つ日本人は、古来より卓越したものづくりの文化を築いてきました。
軸組構造の建築では木組みそのものが造形美であり、日本料理においては素材の味や美しさを最大に活かす工夫がなされています。また、茶の湯においてもその精神に共通の心を感じることができます。
こうした日本独自の文化のひとつとして日本庭園は存在するのです。長い歴史の中でその形態は変化してきましたが、根底にある精神は同じであると思います。
庭造りは作者の精神性を強く映し出し、作庭家の造形哲学の具現化ともいえます。一つの石、一本の樹に向き合ったとき、そこに潜在する力を感じ取り、作者の美意識との鬩ぎ合いの中から形を成す様は、自然界の素材を通して自己の心を見つめ直す修行といえます。
そして造り手の心により命を吹き込まれた庭は、使い手の心に支えられ成長することで、その輝きを増します。
過去から現在、未来へと連なり、人と自然を繋ぎ、そこに集う人々の心を紡ぐ庭は、日本人が歴史の中で育んできた美意識や価値観が文化として集約された空間であると考えます。
自然の声を聴くことで自然に近づき、そのリズムと共鳴することで、自ずと成る庭を目指しています。

GRP_0010.JPG私が作庭を行うにあたって常に心に留めていることは、日本人の思想の根幹についてです。
私達が自然を愛する根底には、植物や動物、そして人間も同じ根から現れた自然の仮の姿であり、すべての生命は永遠の時空の中で、ひとつに繋がっているという輪廻の思想を感じるからです。
樹も石も人間も自然の一部として、土から生まれ土に返ります。また、土に根ざす庭や建物も、さらには森や山も一体であると捉えることができます。その思いは太陽や星々が輝く宇宙へと膨らみ、壮大な世界のなかに生かされている自身を認識することで、自然を尊み共生する心が育まれ、本質を貫く芸術や文化が生まれると考えます。
庭を造るにあたり技術が必要なのはもちろんのこと、創るという行為自体に込められた求道心が重要であり、その精神は一本の草に至るまで行き届いていなければなりません。
そのために、周囲の景観や土地柄、敷地との対話から始まり、石や樹の心を読み解くことが不可欠になります。特に石組は作庭において、非常に大きな役割を担う骨格であり、ひとつひとつの石がどの様に据わりたいのか考えるとともに、庭全体の気勢の流れを創り出すことも重要となります。
目に見えない「心」を象徴化して庭に現す行為は、私自身の心の状態を、自然界の石や樹を通して表現することであり、私そのものを写し出します。しかし、そこに自我を出すのではなく、無我の境地に立ち自然の形に逆らわずに本質的な形を追求することによって、数百年後も色褪せることの無い必然性のある美が生まれます。
さらに庭は、主人が愛情をそそぎ育てることで、訪れる客をもてなす主人の心を内包し、その空間に充実した空気が満ちるようになります。そして庭はその精神によってさらに成熟し、時を重ねることで侘び寂びという趣を生じます。
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私は自分の人生において、自身の存在意義についてよく考えます。同時に作庭においても、なぜ庭を造るのか。また先達の残した庭を観るとき、その場に存在する理由について思いを巡らします。
己を知り、庭を知る。私にとっては、この探求そのものが庭造りであり、庭と向き合う時は全神経を外に向けて放ち、庭と一体化します。
庭造りとは、私の修行の道であり、人生そのものなのです。
                                                                       朝倉 彩芳